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「ビバーク・オリジナルモデル」1975年、田部井淳子氏、女性世界初のエベレスト登頂成功


 1975年5月16日午後12時35分、女性として世界初のエベレスト登頂を成功した田部井淳子氏。田部井氏のエベレスト登頂を支えたのは、ファーブル・ルーバより1962年に発表された世界初の高度計搭載の腕時計「ビバーク」でした。



■田部井淳子氏のエベレスト挑戦


「ゆっくりとザイル(ロープ)を巻きながら足を持ち上げる。その最後の一歩を持ち上げると私はしっかりと頂上に立った」
― 田部井淳子氏著書「タベイさん、頂上だよ」(ヤマケイ文庫)より


 1975年5月16日午後12時35分、一人の日本人女性が偉業を成し遂げました。


 田部井淳子氏が女性として世界で初めて、エベレストの頂上に立ったのです。


 田部井淳子氏は35歳の時にエベレスト登頂を果たし、世界で初めてエベレスト登頂を成功した女性となりました。それは彼女の偉業のほんの始まりにしか過ぎませんでした。その後も世界各地の最高峰へと「フロンティアへの挑戦」を続け、1992年、世界七大陸の最高峰をすべて登頂した世界最初の女性となったのです。田部井淳子氏は戦後の日本の新しい時代を切り開き、そして世界に対して新しい女性像を示しました。



■エベレスト登頂というフロンティアへの挑戦、そして意志の力


 1975年5月4日、第二キャンプ地点。海抜は6400mのこの地点において、女性のみで構成された登山隊のチームは雪崩に巻き込まれました。多くのメンバーは雪崩により身動きが取れなくなり、田部井氏も意識を失い、その後シェルパに救出されました。彼女自身、全身を打撲する怪我を負い、周りからは今回の登山自体の中止や、一番重体であった田部井氏をベースキャンプにて治療すべきとの声もあがりました。しかし、天候やチームの状況を鑑み、彼女は強い意志をもって登頂することを主張し、チーム全員もそれに賛同し、登頂を続けることになったのです。


 田部井氏は登山における意志の大切さについて、後にこう述べています。「技術や、能力だけでは頂上にたどり着けない。意志の強さが大切だ。意志の強さはお金でも買えず、誰かから与えられるものでもない。心から湧いてくるものだ」



■山を愛する夫婦の絆~腕時計「ビバーク」はエベレストの頂へ


 田部井淳子氏の夫である政伸氏もまた山を愛するクライマーでした。夫婦で登山の情熱を共有し、夫の政伸氏は妻が登山に行く際は、登頂に集中できるようサポートしました。ファーブル・ルーバの腕時計「ビバーク」はその象徴なのです。自身も先鋭的な登山を行なっていた政伸氏は1968年、横浜港を出発し、ヨーロッパ・アルプスの3大北壁の登攀に挑戦しました。そのヨーロッパの旅路において、ファーブル・ルーバ、そして、世界初の高度計搭載の腕時計「ビバーク」を知り、欧州登山の実用と記念の印に購入し日本に持ち帰ったのです。

 その後、時計は夫婦の間を行き来し、お互いの大切な登山の折に身につけられました。そして、政伸氏のヨーロッパ遠征から7年後、その時計は田部井淳子氏とともにエベレストの頂上にありました。


 1962年に発表された「ビバーク」は高度計(アネロイド気圧計)を世界で初めて搭載した腕時計です。軽量で、大きさは直径40mm。使用前に回転ベゼル(海抜3,000メートルまで測定可能)を操作し、現地点の高度を赤い針の先と合わせることで、高度を継続的に表示させることができます。また、同じ赤い針の先端が文字盤外周にて示す数値はミリバール単位の気圧を表します。高い精度と実用性を有する計器として、田部井淳子氏のエベレスト登頂を支えました。



■現在も続く田部井淳子氏の理念


 田部井淳子氏の登山への思いは現在も生き続けています。


 その一つが「東北の高校生の富士登山」プロジェクトです。福島県で生まれた田部井淳子氏は、東日本大震災で被災した高校生を元気づけるために、2012年より東北の高校生を富士登山に連れていく活動を始めました。


 田部井氏が亡くなった現在も、田部井氏の息子がその遺志を継ぎ、活動を推進しています。田部井氏が遺した志は、東北の高校生1000人を富士登山に誘うまでこの活動を続けること。2017年までに総勢479名の学生がこのプロジェクトに参加しました。


 現在、ファーブル・ルーバは一般社団法人田部井淳子基金の活動に賛同し、田部井淳子氏の思いやその足跡を次の世代に繋げることを支援しています。

※2018年4月時点での情報です。掲載当時の情報のため、変更されている可能性がございます。ご了承ください。

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