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京都の秋を舞台に、東西の伝統文化が出会い、 融合したプレゼンテーション 『WPHH JAPON 2013 in KYOTO』


  フランク・ミュラー ウォッチランド グループが主催するWPHH(The World Presentation of Haute Horlogerie)が、去る2013年10月28日から4日間、初めて日本で開催されました。


  会場は京都・東山の高台寺門前にあるSODOH(ソウドウ)の、日本庭園に囲まれた由緒ある邸宅です。スイス本国からフランク・ミュラーをはじめとする参画ブランドのCEOや要人が来日し、『WPHH JAPON 2013 in KYOTO』と題して、全9ブランドによる新作発表と作品展示・顧客向け販売会を行いました。

  会場となったソウドウは、日本画の大家竹内栖鳳の私邸兼アトリエとして、1929年に建てられました。自然美と古都・京都の風情を愛した画家の美意識が端々まで貫かれた当時の佇まいを、今に伝える貴重な場所といえるでしょう。またこの邸は、竹内栖鳳に招かれた東西の文化人の交流の場でもありました。邸内から隣接する八坂の塔を望むとき、はるか昔に同じ場所で、彼らが交わした言葉が蘇ってくるようにさえ感じられます。


  こうしたさまざまな由来をふくめ、ソウドウは日本の伝統や文化、美術にも通じたフランク・ミュラーの感性に響く場所でした。京都滞在中にフランク・ミュラーは、京都市美術館で開かれていた竹内栖鳳の回顧展に足を運び、偉大な美の先駆者が残した仕事に見入っていました。


  メイン会場となった母屋の中心には、9ブランドの新作を集めた展示室があります。


  その同じ部屋に、フランク・ミュラーの伝説的なモデル――1991年製作のダブルフェイス・モノプッシャー・クロノグラフ・ワールドタイム、’95年製作のインぺリアル トゥールビヨンなどの複雑時計と、’92年製作のヴィンテージ トノウ・カーべックスのように端正な機械式時計が並んでいます。新旧のモデルの対比によって、フランク・ミュラーとウォッチランドの歩みが浮かび上がるディスプレイが、評判をよんでいました。


  この部屋のほかに、フランク・ミュラー、バックス & ストラウス、クストスの3ブランドのプレゼンテーションルームが設けられ、それぞれの雰囲気にあわせて趣向をこらした幻想的な花が、花人 赤井勝氏の手でコーディネートされています。


  古き良き日本の雰囲気を残す木枠のガラス戸に映る庭の景色と、それに共鳴するかのように輝く時計が花とも渾然一体となって、西洋と東洋の美が溶け合う空間が出現しました。


  2階のレストランで供される料理は、京料理にインスピレーションを得たフランク・ミュラーオリジナル創作イタリアン。さまざまなバリエーションが用意され、ゲストはその時の気分にあった料理を選ぶことができます。また、ゲストの好きな数字をデザートに飾るなど、これまでフランク・ミュラーがお客様のひとりひとりと向き合って時計制作を行う中で大切にしてきたゲストを思う気持ちや敬意が表れるプレゼンテーションがそこにありました。


  そして、フランク・ミュラー仕様の人力車もこのイベントの為に用意された特別なアイテム。人力車に乗って風情ある京都の季節の移ろいを感じながら、お茶の席を満喫されるゲストの姿がみられました。それらすべてが、この場所を訪れた方々だけに味わっていただける、唯一無二のおもてなしとなりました。


  もうひとつ忘れてならないのは、歴代のモデルが一堂に会したトゥールビヨン コレクション ルームです。


  ‘86年に世界に先駆けてトゥールビヨン機構を搭載した腕時計を発表して以来、トゥールビヨンは時計師フランク・ミュラーの代名詞となってきました。ブランドを設立してからも、フランク・ミュラーは次々に世界初の、トゥールビヨン機構を搭載したグランドコンプリケーションを発表しています。それらの功績をたたえ、さらに未来に向かうために、この展示室が用意されました。


  トゥールビヨンの進化型であるレボリューション、エボリューション、エテルニタス。それらを経てたどり着いたのが、すべての複雑機能を備えた究極の腕時計、エテルニタス・メガ4。さらに史上最大のトゥールビヨンを組み込んだギガ トゥールビヨンや2013年発表の最速回転を誇るサンダーボルト?トゥールビヨンまでがずらりと並ぶさまは、「圧巻」のひとことに尽きます。


スイス発の機械式時計と、和を象徴する空間。


  一見相容れないふたつの要素ですが、じつは根底に流れる伝統や文化に対する尊敬の念に、大きな共通点がありました。


  それらが出会って、フランク・ミュラーというインスピレーションを得たとき、東西の精神が融合して、新しい創造の場が生まれました。それもまた、フランク・ミュラーが京都に刻んだ、「世界初」の足跡のひとつに違いありません。

※2013年12月時点での情報です。掲載当時の情報のため、変更されている可能性がございます。ご了承ください。

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