ルーヴルの中心的な支援者ブレゲ


  ルーヴル美術館のルイ 14世の間からルイ16 世の間のリノベーションにあたり、その支援で中心的な役割を演じたブレゲは、世界有数のこの美術館とともに、修復で甦った部屋の再公開を祝います。来る2014年6月17 日、ブレゲ社社長兼 CEO のマークA. ハイエックは、世界から300 人あまりのVIP を迎えて、ルーヴルでのセレモニーを催しました。


  著名な時計ブランドが催す特別なプライベート・イベントは、まさに壮麗を極める歴史的な王宮にふさわしい内容になります。イベントには、ルーヴル宮の新しい部屋と数々の傑作の参観、ナポレオン・ホールでの洗練されたカクテル、有名なガラスのピラミッドのもとでの特別なディナーなど、これまでに例のない祝賀プログラムが行われました。


  ブレゲはまたこの機会に、ブレゲが2002 年よりスポンサーを務めてきたジュネーブ国際音楽コンクールの第65 回で優勝した若いソプラノ歌手、ポリーナ・パスティルシャクのユニークなコンサートも設けました。

  2014年の今年、2009年にニコラスG. ハイエックが数百万ユーロに達する援助をもってスタートした特別な支援プロジェクトが、彼の孫にあたるマークA. ハイエックが注意深く見守る中でいよいよ完成しました。1980年代初頭から着手されていた大ルーヴル宮のリノベーションの最後に残っていたのは、18世紀のあらゆるコレクションを収蔵する部屋の改修でした。


  約10年間も公開されずに閉ざされていたこのエリアは、およそ2500平方メートルの広さがあり、今や完全に改修を終えました。博物館資料記録技術や教育的なプレゼンテーションもまた、完全に改定されました。このようにコレクションの展示方法を見直すことにより、作品も見やすさと透明性を併せ持つユニークな宮殿建築と一体になっています。こうして、歴史にあふれ、ヨーロッパの豊かな文化遺産を象徴する品々が本来の素晴らしい姿を取り戻したのです。


  ブレゲは、この支援活動を通じてヨーロッパ文化の保護を続けてきただけでなく、ルーヴル美術館との関係強化も図ってきました。アブラアン-ルイ・ブレゲは、1802年の第2回産業博覧会がルーヴルで開催されて以来、自身の傑作時計をこのルーヴルで披露するという栄誉に浴していました。それから数年後、ルーヴルの初の支援者で、ジャン-リュック・マルティネズ(現館長)よりはるか昔の前任者だったヴィヴァン・ドノンがブレゲのミニッツリピーター・ウォッチを購入し、1810と1801年にもそれぞれクロックを購入しました。ルーヴルにおける18世紀の美術品コレクションには、時計関連の作品も数多くあり、そこには1961年にリヨンの実業家クローディアス・コートの未亡人から一部が遺贈されたブレゲの素晴らしい時計も含まれています。しかし、なんといってもブレゲとルーヴルとの重要な関係強化といえば、2009年当時にルーヴル美術館の代表と館長の任にあったアンリ・ロワレットが中心になって同年に催された展示会『Breguet at The Louvre. An Apogee of European Watchmaking (ルーヴルにおけるブレゲ。ヨーロッパ時計製造の頂点) 』です。


  ブレゲ社は、18世紀の美術品を集めた部屋の再公開というこの機会にルーヴルと連携できることや、その素晴らしいコレクションの世界的なプロモーションに貢献できることを誇りに思います。

ヨーロッパの文化や歴史とともに歩んだブレゲ


  偉大な歴史や文化遺産を受け継ぎながら、技術でも最先端をゆくブレゲは、その革新性によって絶えず人々を魅了し続けてきました。ブレゲがヨーロッパ文化の歴史に地位を占めてきたのは、天才的な発明家にしてメゾンの創業者、アブラアン-ルイ・ブレゲのおかげでした。


  1747年、スイスのヌーシャテルに生まれたアブラアン-ルイ・ブレゲは、人生の大半をパリで過ごしました。彼の重要な発明の数々もこのパリで成し遂げられました。例えば、リピーター・ウォッチのゴング・スプリング、ナポレオンに販売された初の旅行用携帯時計、1801年にフランス内務省から特許の認可を得たトゥールビヨンなどです。


  ヨーロッパのあらゆる宮廷で賞賛を浴びたブレゲは、やがて外交官や科学者、金融家、軍人など当時のエリートたちにとって欠かすことのできない時計師になりました彼はまた、ルイ16世やマリー・アントワネットといった、最も名声を誇る顧客たちのために特別な時計を製作しました。


  あふれるほどの名誉を授けられたブレゲは、フランス王国海軍の経度および時計委員会のメンバーに選ばれ、さらにアカデミー・フランセーズの会員になり、国王ルイ18世からはレジオン・ドヌール勲章を授かるまでになります。1823年にこの世を去ったとき、天才的な才能によって時計のあらゆる分野に革命をもたらした人物の死を誰もが悼みました。しかし、物語はここで終わったわけではありません。



スウォッチグループでのブレゲ


  1999年、スウォッチグループの設立者で、前会長および取締役会の代表を務めた故ニコラスG. ハイエックは、高級時計の至宝であるブレゲを手中に収めました。彼の並々ならぬ情熱がブランドに新たな息吹を吹き込みました。彼が抱いていたビジョンは、文化的な側面や感動を甦らせることによってブレゲを本来の偉大なブランドへと立ち返らせることでした。


  そして2003年、野心的な試みを実現すべく新しいブレゲ・マニュファクチュールが誕生しました。さらに2006年からは、増大する需要に応えるためにマニュファクチュールの規模は拡大を続けました。ブレゲ社は、最新の制御技術や研究開発に定期的に投資してきました。ニコラスG. ハイエックは、なにより研究に重点を置き、とりわけ時計製造にシリコンという新素材を積極的に導入しました。彼の指揮のもとで、ブレゲはたくさんの新しい特許を登録し、それはマークA. ハイエックになってからも続いています。2012年には、ブレゲ・マニュファクチュールが、マグネティック・ピボットを採用する世界初の時計「クラシッククロノメトリー」を完成させるという快挙を成し遂げました。ブレゲにはまた、毎年新型のムーブメントを開発する力があり、そのいくつかは、文字通り革命的なものです。ブレゲはこうした技術革新によって現代の高級時計の分野でベンチマークを確立しただけでなく、ヨーロッパの文化遺産の一部を形づくってきたこれまでの特別な地位をも保っているのです。


ブレゲのパートナーシップ


  ブレゲは長年に渡って芸術や文化の支援活動を行ってきましたが、世界中の著名な文化施設ともパートナーシップを結んでいます。以下は、そのいくつかの例です。


  2004年、ブレゲは、数世紀に及ぶロシアとの関係を祝うために、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館において古い時代のブレゲ時計やレアピースを大量に集めた展示会を催しました。さらに2009年にはパリのルーヴル美術館、2011年にはチューリッヒのスイス国立博物館でブレゲの貴重な時計コレクションが一般公開されました。


  また、2008年には、フランスのネオクラシック建築の至宝と謳われるプチ・トリアノン宮の修復も援助しました。2007年に開始されたこの修復プロジェクトには、元の室内の復元をはじめ、当時を説明する情報ディスプレーの設置、設備の修理、外に設けられたかつての農作業場、東西のエントランスやウィング部の修復などが含まれていました。この壮大なプロジェクトは、最終仕上げを施して2010年にすべて完了しました。


  2011年には、ブレゲはCNNと共同でレオナルド・ダ・ヴィンチと、最近発見された彼の傑作絵画『サルバトール・ムンディ(救世主)』にまつわる1週間のテレビ番組を制作しました。ブレゲに協力したCNNは、過去200年における最も重要な芸術作品の発見となったこの絵画の詳細や修復過程を番組で紹介しました。2013年にはまた、CNNとの新たな協力関係が生まれ、“Inside the Louvre (ルーブル内部)”と題された番組が有名なチャンネルで1週間に渡って放映されました。それは、ルーヴルの概要を身近に感じさせる内容で、視聴者を世界最大の美術館のまさに核心部へと誘ったのです。


  また、ブレゲの歴史に名を残す著名な作曲家や音楽家を称えて、2013年も、毎年開催されてきたジュネーブ国際音楽コンクールの第12回のパートナーも務めました。このパートナーシップは、世界から集まった才能豊かな若い音楽家の支援を目的にしたものです。


ルーヴルに収められたブレゲ

  ブレゲの時計は、18世紀の装飾芸術のまれに見る特別な側面を描き出しています。ルーヴル美術館は、とりわけ19世紀前半の早い時期にアブラアン-ルイ・ブレゲが製作した素晴らしい時計が揃っています。彼の比類ない名声を支えた発明や時計製作の偉業を語るスースクリプション・ウォッチやリピーター・ウォッチです。




(写真右上から順に)


ブレゲNo.542 スースクリプション・ウォッチ
ゴールドに縁取られたシルバー製ケース、裏蓋にギヨシェ彫りの装飾と、中央にECのモノグラム。エナメル文字盤。ルビー・シリンダー脱進機。直径62mm。
共和暦8年テルミドール28日(1800年8月16日)、カンド大使に寄贈。



ブレゲNo.947 スースクリプション・ウォッチ
ギヨシェ彫りシルバー製ケース、ゴールドの縁取り、ケースバンドにフルート装飾。エナメル文字盤、2方向から読み取れる表示。ルビー・シリンダー脱進機。直径60mm。
共和暦10年テルミドール(1802年7月/8月)、ジェボウスキー伯爵に720フランで売却。



ブレゲNo.1391 スースクリプション・ウォッチ
中型のゴールド製ケース、ゴールドのギヨシェ彫り文字盤。ルビー・シリンダー脱進機。直径57mm。
共和暦13年フリュクティドール3日(1805年8月21日)、メイヤーおよびチュエ氏に1200フランで売却。



ブレゲNo.2585 ハーフクォーター・リピーター・ウォッチ、その他複数の複雑機能付き (フォンテーヌブロー城国立美術館蔵)
ゴールド製ハンターケース、シルバープレート裏蓋にイタリアの行政区画を示す地図のエングレーヴィング。ギヨシェ彫りシルバー文字盤、3つのオフセンターダイヤルで秒、曜日と日付を表示。中蓋に温度表示。ルビー・シリンダー脱進機。直径50mm。
1811年6月28日、カミーユ・ボルゲーゼ公に4800フランで売却。



ブレゲNo.3023 小型クォーター・リピーター・ウォッチ
ギヨシェ彫りゴールド製ケース、ギヨシェ彫りシルバー文字盤、ブルースティール・ブレゲ針。ゴールド製中蓋。ルビー・シリンダー脱進機。直径35mm。 1817年8月1日、ウェリントン公爵夫人に3000フランで売却。



ブレゲNo.3306 最高級クォーター・リピーター・ウォッチ
ギヨシェ彫りゴールド製ケース、ギヨシェ彫りシルバー文字盤。ゴールド製中蓋。ルビー・シリンダー脱進機、スプリング・デタント・リピーター機構。直径43mm。
1819年8月16日、マチルド婦人に3130フランで売却。

※2014年6月時点での情報です。掲載当時の情報のため、変更されている可能性がございます。ご了承ください。

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