高級時計は、誰のためにあるのか?

 携帯電話が普及したときも、スマートフォンが誕生したときも、「高級時計は過去のものになる」と言われたが、今もその気配はない。むしろ高級時計に対する興味は広がっており、売り上げも好調だ。
 もちろん高級時計は、誰もが手に入れられるわけではない。特に伝統と格式のある名門ブラントの時計ともなると、所有していること自体がステイタス。選ばれし人のためのエクスクルーシブなものになっており、VIP顧客のみを招いた派手なイベントも国内外で頻繁に行われている。
 高級時計は、このまま限られた人たちだけの楽しみになってしまうのだろうか?

 そんな心配を杞憂に終わらせるのが、パテック フィリップやオーデマ ピゲの試みだ。
 両社はいずれもスイス高級時計の代名詞存在であり、時計を手に入れることは困難を極める。まさにエクスクルーシブなブランドだが、その一方でスイス時計の文化や伝統を広く伝えるという役割に対しても、真摯に向き合っている。

 パテック フィリップが6月に東京で開催した「パテック フィリップ ウォッチアート・グランド・エキシビション 東京 2023」は、これまでに世界5都市で開催されてきたイベント。パテック フィリップの時計がどうやって作られているかに興味があるが、ジュネーブのミュージアムまではいけないという人に見てもらう機会を作ることが目的であり、対象者をパテック フィリップのオーナーや購入できる層だけに絞らないのは、時計文化を知ってもらい、こういった時計を見て美しいと感じる心を養ってほしいからだ。
 ジュネーブにある「パテック フィリップ・ミュージアム」に所蔵されている貴重な時計たちを展示するだけでなく、メティエ・ダール職人による実演コーナーも大盛況。精密な手仕事から生まれる美しい時計の世界をその目で見ることで、ブランドや職人への敬意を深める。また技術者による解説付きのハイコンプリケーションのコーナーも充実し、パテック フィリップ ブティックのジュネーブ本店最上階にあるVIPル-ム「ナポレオンルーム」を模した空間を再現するなど、パテック フィリップの世界を様々な形で表現していた。
 会場に選んだのは新宿にある「住友三角広場」で、入場は無料。そのため時計愛好家はもちろんのこと、会社帰りのビジネスマンや家族連れ、女性など幅広い層が来場し、その人数は16日間で約6万人だったという。そのだれもが、美しい時計の世界を楽しんでおり、ジュネーブの美しい時計文化を伝えたいという目的はしっかり果たされたようだった。もしかすると、会場に来た子供たちが時計師や伝統工芸師という仕事に憧れを抱くかもしれない。パテック フィリップは時計界の遠い未来まで見据えているのだ。

 一方オーデマ ピゲは、エデュテインメント(エデュケーション+エンタテインメント)に力を入れる。7月15日に渋谷区神宮前にオープンした「AP LAB Tokyo」は、“時計師への挑戦”をテーマに「時間の概念」「音」「天体」「素材」「機構」の5つのトピックからなるゲームを通じて、オーデマ ピゲへの興味や機械式時計への理解を深めるという世界初のコンセプトストア。店内での時計販売はなく、時計を知り、時計を学び、興味を深めることを目的としている。
 5つのゲームをクリアすると、2Fのステージ(マスタークラス)へと進み、サテン仕上げやポリッシング、ペルラージュ仕上げなどの装飾技法を含む、時計製造に用いられる数々の技術にチャレンジできる。入場に際しては事前予約が必要だが、入場料は無料。世界的観光地でもあるファッションストリートの原宿・表参道に近いエリアであるため、特に若者層を取り込みたいという意識もあるのだろう。

 パテック フィリップは歴史や伝統を語ることで、時計文化の奥深さを知ってもらうことを目的とし、オーデマ ピゲは体験を通じて、時計の面白さや魅力を伝えようとする。そのどちらも、排他的なムードは皆無だ。
 高級時計が一部の人のためのものであることに異論はない。しかし時間は社会共通のルールであり、時計は生活必需品であるというのは、誰にとっても変わらない事実である。だからこそ彼らは、時計とそれを取り巻く文化を広めようと考える。それは、文化を継承し、未来へとバトンをつないでいくトップランナーの矜持ともいえるだろう。
 それに高級時計の楽しみ方は、所有することだけではない。歴史や文化、継承される技術などを知り、教養を深めることも楽しいことだ。パテック フィリップやオーデマ ピゲのイベントは、そういった時計の楽しさを知る機会を与えてくれる。「高級時計(とその文化)は、みんなのためにある」。高級時計ブランドほど、その意義をよく理解しているのだ。

【AP LAB Tokyo】
開催期間:2023年7月15日(土)〜終了時期未定
開催時間:11:00~19:00
定休日:火曜
開催場所:東京都渋谷区神宮前5-10-9
問い合せ先:03-6633-7000
来店予約サイト : https://aplb.ch/g58k
文:篠田哲生 / Text:Tetsuo Shinoda

※2023年8月時点での情報です。掲載当時の情報のため、変更されている可能性がございます。ご了承ください。

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