激化する超薄型ウォッチ開発競争の最前線
超複雑機構は機械式時計の花形。永久カレンダーやトゥールビヨン、ミニッツリピーターに憧れる人は多いだろう。こういった超複雑機構は作られてきた歴史も長いので、ブランドごとにノウハウがあり、様々な進化を遂げている。しかしその一方で、限られた技巧派ブランドだけが開発競争をしているのが「超薄型ウォッチ」である。
超複雑機構の場合は沢山のパーツを使用することで製造の難度が上がるのだが、ケースの体積を増やすことでスペースを確保するという逃げ道もある。事実、複数の超複雑機構を搭載するハイコンプリケーションウォッチのケースサイズはかなり巨大化しているし、さらにはもっとケースが大きな懐中時計という方法もある。しかし超薄型ウォッチには逃げ道がない。薄いケースで体積を稼ぐためにはケース径を広げる以外に方法はなく、腕に収まるサイズであることを考えると、極端に体積を増やすことは難しい。
この困難に挑む数少ないブランドの中で、先陣を切っているのが「ピアジェ」である。1957年に発表した極薄ムーブメント「キャリバー9P」は厚さが2㎜という超薄型設計であり、それ以降は戦略として超薄型ウォッチのみを作り続けることで超薄型=ピアジェというブランドイメージを作り上げた。さらに創業140周年となる2014年には「キャリバー900P」を発表。このムーブメントは単体では存在せず、時計のケースバックをムーブメントの地板として兼用することで地板一枚分も薄くした。このムーブメントを使った「アルティプラノ 900P」のケース厚はわずか3.65㎜しかない。ピアジェは超薄型を極めるために時計構造の常識を塗り替え、世界最薄の機械式時計を誕生させたのだ。
そんな超薄型ウォッチの世界に殴り込みをかけたのが「ブルガリ」だ。もともとはローマ発祥のジュエラーであったが、1970年代から時計製造に本腰を入れはじめ、「ブルガリ・ブルガリ」の大ヒットによって時計ブランドとしての地位を確立。2000年以降は実力派時計工房やケース会社などを傘下に収めて技術力を積み上げた。そして2013年にはタグ・ホイヤーで辣腕をふるっていたジャン・クリストフ・ババンをCEOとして招き入れ、時計ブランドとして盤石な体制を築き上げる。
卓越した美意識に時計技術を掛け合わせる時計として、ブルガリが超薄型ウォッチを選んだのは聡明な戦略だった。2014年に発表した世界最薄のトゥールビヨンウォッチ「オクト フィニッシモ トゥールビヨン マニュアル」を皮切りにほぼ毎年のように様々な機構を搭載するモデルを発表し、超薄型ウォッチの世界記録を更新し続けた。その世界記録数は2021年までに7つとなり、超薄型ウォッチの王者という称号は、ブルガリのものとなりつつあった。
しかしピアジェも、この状況を座視していたわけではない。2018年に発表した「アルティプラノ アルティメート・コンセプト」は、キャリバー900Pで確立したケースとムーブメントの一体化技術を進化させ、ケース厚2㎜という究極の薄型ウォッチを完成させた。このサイズはピアジェの超薄型伝説の始まりとなったキャリバー9Pの厚みであり、これによって超薄型ウォッチの開発競争は終結したかと思われた…。
ところが、2022年にブルガリは更なる超薄型ウォッチを発表する。ピアジェと同じくケースバックに直接パーツを組み込む方法を採用した「オクト フィニッシモ ウルトラ」は、なんとケースの厚みが1.8㎜しかない世界最薄の機械式時計であり、ブルガリとしては8つ目の世界最薄記録の樹立となった。極限の薄さを実現するために時針と分針を分割し、大きく薄くなった香箱の上にはQRコードを入れ、個別のNFTアートにアクセスできるようにするなどの新たな取り組みを入れ、超薄型ウォッチの世界に新風を吹かせた。
さすがにこれで勝負あり。これ以上時計は薄くならないだろうと思っていたら、2022年の7月にとんでもない超薄型ウォッチが「リシャール・ミル」から登場した。2021年に締結されたリシャール・ミルとフェラーリのパートナーシップを祝す第一弾モデル「RM UP-01 フェラーリ」は、なんとケースの厚さが1.75㎜しかない。しかもこれまでのピアジェやブルガリと違って、ケースとムーブメントは別個になっている。リシャール・ミルは“ムーブメントをケースに収める”というスイス時計の伝統を敢えて固辞しながら、それでいて薄型記録を樹立してしまったのだ。
なぜ彼らはそんな困難に挑んだのか? ムーブメントは繊細なパーツで構成されている。その繊細なものをハードな外殻で覆うことで、日常使いどころかスポーツウォッチとしても十分なレベルの耐衝撃性能を獲得しようというのだ。
141個のパーツで構成されるムーブメント「キャリバーRMUP-01」は、動力ゼンマイから調速脱進機まで歯車をほぼ重ねることなく連結し、時分表示もそれ自体を歯車にすることで薄さを極めた。その結果ムーブメント厚は1.17㎜しかない。さらにグレード5チタン製のケースはムーブメント用の高精度加工マシンを使っており、薄いが強度は高い。片側に12㎏の錘で負荷をかけてもケースは歪まず、5000Gを超える加速度にも耐えるので、スポーツウォッチとして日常使いできるだろう。
しかも製作本数も異例だ。これまでの極薄ウォッチは、コンセプトモデル的な扱いで生産本数はごく少数にしていた。しかし「RM UP-01 フェラーリ」の生産本数は150本。通常のリシャール・ミルの限定モデルよりも多い生産数にしたのは、この薄型技術が特別なものではないというメッセージでもある。
「RM UP-01 フェラーリ」は、これまでの薄型ウォッチとは一線を画した構造と特徴を持っている。もはやこれよりも薄型の時計を開発することは不可能ではないだろうか。それともブルガリやピアジェがこれを凌駕するジョーカーを切り出してくるのだろうか。はたまた更なる新顔が登場するのか? 超薄型ウォッチへの興味は尽きない。
※2022年8月時点での情報です。掲載当時の情報のため、変更されている可能性がございます。ご了承ください。