「Watches&Wonders」に、高級時計の未来はあったか?

 今思えば、2019年から崩壊の足音は聞こえていた。例年通り、ジュネーブにて1月に「S.I.H.H.」が華々しく開催されたが、オーデマ ピゲとリシャール・ミルがイベントからの離脱を宣言。そしてバーゼルにて4月に開催された「BASELWORLD」には、一大勢力を担っていたスウォッチグループ(ブレゲ、ブランパン、オメガなどが属する)の姿はなく、かつて巨大なブースが並んでいたメインホールの中央部は、寒々しいカフェスペースとなっていた。(スウォッチグループの上位ブランドは合同で6月に「TIME AND MOVE」というイベントを開催した)
 各社の業績が悪いわけではない。世界中で高級時計に対する関心が高まり、多くのブランドは売り上げを拡大していた。むしろ変化したのは世の中のスピード感で、新作時計として発表してから時計が店頭に並ぶまでに時間がかかることに対して不満の声が上がっていた。であれば、モデルの発売に合わせて、各国で発表会やイベントを開催した方が合理的ではないか? そう考えるブランドが増えてきたのだ。
 
 もちろん新作発表イベントの運営側も、手をこまねいているわけではなかった。ジュネーブのS.I.H.H.は、「Watches&Wonders」として進化発展し、2020年の4月末開催を予定していたし、BASELWORLDも新しい試みを打ち出すという話にはなっていた。しかし折悪くCOVID-19の猛威によってイベントはすべて中止となり、オンラインでの開催が余儀なくされた。2022年になってようやく、世界中からジャーナリストやリテーラーを受け入れる状況になったがアジア勢はほとんど参加せず、またBASELWORLDは2020年をもって契約切れとなり、再開するめどは立たない。おまけにコロナ禍の3年間でオンライン発表会や各国の小規模展示会という方法が確立してしまった状況で、いまさら大規模な時計イベントを行う必要があるのだろうか? そんな声があったのも事実である。

 そして迎えた2023年。Watches&Wondersは、ついに制限なしの通常開催となった。Watches&Wondersの参加ブランドは48。カルティエやジャガー・ルクルト、IWCといったリシュモングループ勢に加えて、BASELWORLDに参加してきたパテック フィリップ、ショパール、ロレックス、チューダーといった独立資本のビッグメゾンたちがジュネーブに集結。そしてオリスやパルミジャーニ フルリエのような小規模ながら実力派のブランド。そしてリベリオンやチャペックのようなマイクロメゾンなど、様々な哲学と歴史を持つブランドも参加する大イベントへと進化と遂げたのだ。
中でも嬉しかったのが、非欧米系では唯一の参加となるグランドセイコーの存在だ。昨年に引き続いての参加となるが、日本のラグジュアリーウォッチが、この“高級時計の本丸”で認められている姿を見るのは、とても誇らしいことである。

 初日となる3月27日は、入場を待つ人たちでエントランス付近は大混雑。事前登録した取材パスを受けとるだけでも、90分以上も並ぶ羽目になったが、それでもイライラしなかったのは、時計を愛する人たちが世界中から集まっているという久々の状況が嬉しかったからだ。そして会場では見知った時計店の人々にも久しぶりに会うことができ、リモート会議ばっかりだったブランドのスタッフたちとも雑談が弾んだ。2020年を境に大きく変わった時計業界の新しい日常を作りだろう……。そんなムードがあった。

 新作時計に関する詳細は、他記事にもあるので割愛するが、今年がクロノグラフの当たり年で魅惑的なモデルが多数発表されたほか、世のジェンダーレス化の波を受けたのか、34~39㎜ケースのモデルも目立っていた。もはやメンズ/レディスというくくりは存在せず、華やかなダイヤルカラーのモデルも増えた。高級時計はますます自由に楽しむものとなっているのだ。

 では「Watches&Wonders」に、高級時計の未来はあったのか? 会場を覆った熱気、ブランドのパッション、招待客たちの笑顔……、それがすべての答えである。さらに4月1日と2日は一般開放されたが、一万枚の入場券はすぐに完売し、入場者の25%は25歳以下だったという。スマートウォッチが隆盛を迎え、一部の高級時計は投機の対象になってしまったのも事実である。しかし時計に魅せられた人は世界中にたくさんいる。それを実感した、久々の「Watches&Wonders」となった。

文:篠田哲生 / Text:Tetsuo Shinoda

※2023年5月時点での情報です。掲載当時の情報のため、変更されている可能性がございます。ご了承ください。

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